最近ハッと気が付いた事があります。普段レッスンをしていると、生徒から「先生、この音のニュアンスを 出すには、どうやって演奏するのですか?」と訊ねられる事が多いのですが、よくよく考えたら、私、鈴木学自身、ジャズサックスの表現法について、人から教わった経験がほとんど無かったのです。思い起こせば、CD、LPで聞く音を頼りに、楽器を触りつつ、どうやったら同じようなニュアンスが出るのか、自ら試行錯誤して演奏法を探り当てていました。
ですから、私の表現法が本当に「正しい」ものなのかどうか、確信を持っているわけではありません。しか し、自分の演奏を録音して聞き直した際、「本物」と同じようなニュアンスに聴こえれば、それでオッケ ーと割り切っています。だって、「本物」のジャズメン達の大半は、もはや天国の住人なのですから、確かめようもありませんし・・。
上達する生徒の条件
日々、レッスンをしていると、楽器演奏が上達しやすい生徒には共通のパターンがある事に気づきます。それは「どんな手を使ってでも、とにかくカッコ良く演奏してやる!」と素直に思えるかどうかです。
そのように考える生徒は、何か新たな課題を与えた場合にも、まず自発的にカッコ良い演奏にするべく 、様々に工夫します。そして、自らの楽器から奏でられる音がどのように人に聞こえるのか、自らにとって好ましい「結果」を求めます。
このような生徒に対するレッスンは、大変にシンプルなものとなります。まず、「何故カッコ良く聴こえないのか?」原因を示します。それから「どのような結果になれば、カッコ良く聴こえるのか?」を示し、そうなる為の「練習法」を課題として提示します。これで、個人練習の時間を5~10分与えれば、十中八九、問題は解決します。
私自身の経験から言っても、根底に「どんな手を使ってでも、とにかくカッコ良く演奏してやる!」という姿勢があれば、どんなに些細な助言でも、有効に活用できるものです。その上、新たな課題の習得のスピー ドが速くなり、一度マスターしたものは決して忘れません。
上達が遅い生徒のパターン
反対に、この姿勢が無い人は「正しい演奏法」に固執します。とにかく間違いが無いように、正しい手順を踏む事、それ自体にこだわります。その結果演奏中に、上達しやすい人が「自分の楽器の音を注意深く観察する」のに対して、上達が遅い人は「自分の身体に対して指示を出す」事ばかりに気を取られ、常に慌てて楽器を操作している印象になってしまうのです。
そして、この状態では当然、自分の楽器から出ている音が聴こえませんから、演奏は大変不安定になります 。その上、演奏のミス(この場合、本人にとっては、楽器の操作上のミス)も頻繁になってしまうため、一層、正しい「操作」ばかりに意識が向いてしまい、更にミスが増えるという悪循環に陥ります。
何故、「正しい演奏法」に固執してしまうのか?それは楽器演奏に対する自信の無さによります。そもそも 、人間は未経験の物事に対しては、大なり小なり警戒心を抱くものです。楽器の演奏経験が無い人ほど、演奏できる人を過大評価し、超人的行為のようにみなしてしまいます。自分にはこんな摩訶不思議な行為はそう簡単にできるはずが無い、だからとりあえず間違いの無いように「正しい演奏法」を身につけよう、と考えるのです。
更に言えば、楽器演奏に自信の無い人は、自分の音楽的センスを信じません。そのせいで、自分の音に耳が向かなくなります。自分には良い音、良い演奏がどういうものか判断できるはずが無いのだから、聴く事よ りも、「正しい演奏法」が実行できているか、身体の動きをチェックしていた方が、良い結果になると考えてしまうのです。
上達が遅い人の勘違い
上達が遅くなる人の、このような思考法はもちろん大きなカン違いです。そもそも、演奏法、操作法を考えながら楽器と向き合って、きちんと思い通りに操作が実行できるほど、楽器の操作は単純なものではありません 。
人間の日常の動作のうち、大半は無意識に実行しています。しかも、それは大変に複雑な動作です。例えば、普段歩いている時に、身体の各部の動作を意識するなんて事はないでしょう?誰でも、無意識に体を動かしているはずです。
しかし、人型ロボットの2足歩行が可能になったのは、そんなに昔の話ではあり ません。身体の各パーツの動かし方や連動等、現代の英知を結集して、やっと実現するほど難しい課題だったのですね。
それに対して、人間の子供が歩き始める時、身体の動かし方からマスターしようなんて考えますか?そんなはずはないでしょう。傍らにいる大人の歩き方、立っている様子を見つつ、立つ、歩くという動作を自然にマスターしていくものです。 音楽の場合も同様、楽器の音色を奏でよう、旋律を美しく歌おうという気持ち、目的が先にあって、身体が自然についてくるものなのですね。
もう一つのカン違いは、自分には音楽的センスが無いという考え方です。「正しい演奏法」に固執する原因となる、この考えには全く根拠がありません。特にこの音楽的センスの有無を、絶対音感の有無とイコールと捉えている人がいますが、そんな事は全くありません。ちなみに私自身、絶対音感はありません。
例えば、誰だってこの演奏者のこの曲が好きとかあるでしょう?全て、他人が良いと言う音楽しか聴かないなんて人は、まずいないですよね?誰でも自分なりの音楽の好みはあるはずです。これこそが音楽的センスを用いているという事なのですね。
他にも、カラオケで歌を歌う習慣があれば、これはもう立派に『音楽のセンス』がある事になります。自分が歌いたいと思う曲を選ぶこと自体、音楽的センスを用いる行為です。そういうと、カラオケと楽器演奏は違うのではという声が聞こえてきそうですが、そんなことは全くありません。音楽を生み出すという点において、何ら違いはありません。
音楽のレッスンを受講する意味
このように考えを進めてみると、楽器演奏が上達するかどうかは、「どんな手を使ってでも、とにかくカッコ良く演奏してやる!」という気持ちの有無によって決まる、という事になります。しかし、それならば、わざわざ音楽のレッスンを受講するのには一体どんな意味があるのでしょう?
まずは、もともと「どんな手を使ってでも、とにかくカッコ良く演奏してやる!」気持ちがある場合、レッスンを受講し、講師から適切な情報、ノウハウを得ることで、独学で練習を続けるのよりも、効率的に進歩する事が期待できます。
例えば、私自身の場合、冒頭に述べた通り、自力で演奏法を探り当てていたのですが、それには膨大な時間を要します。それが許される環境であれば、時間を費やしても良いでしょうが、普通、そういうわけにはいきません。時間は有限なものですから、優秀な講師に教えを請う方が、はるかに効率的でしょう。
まずは体験してみよう!
そして、「どんな手を使ってでも、とにかくカッコ良く演奏してやる!」とまで、ハッキリとした意思があるかどうか自覚は無くても、漠然と楽器が演奏できるようになりたいという方(実際は大半の方がこういう立場でしょう)の場合、更にレッスンを受講する意味が増します。
まずは楽器に触れてみること、そして、講師の導きにより、楽器の操作、楽譜の見方、そして、それ以上に重要な、音楽を奏でる姿勢について、徐々に体験していき、深めていく事となります。その際、本当に優秀な講師ならば、前述した《上達が遅い人のカン違い》、つまり上達を妨げる様々な障壁を、次々と取り除いてくれるはずです。
実際、私が提供するレッスン内容のうち、恐らく、半分以上は、この障壁を取り除く作業となります。なぜならば、どんなに効果的と思われる楽器演奏法、練習法を伝えても、心理的な障壁があると、それが実行されない、もしくは、それによる効果が発揮されないのです。そして私は、皆さんの前にどんな障壁が立ちはだかる事になるのか、経験上知り尽くしています。
サックス(サクソフォン)、フルート、クラリネット演奏に取り組む中、伸び悩みを感じていたりする方はいませんか?独学で練習を続ける中、もしくは、どこかの教室で習っている中、なかなか成長が実感できない、どうしても一定以上の成果が感じられない、もしくは、憧れのサックスに挑戦してみたいのだけれども 、自分にも演奏できるか自信が無いという方、是非御相談下さい。鈴木サキソフォンスクールは、サックス専門音楽教室として運営してきた、10年間分のノウハウを携えて、皆様をお待ちしていますよ!