ジャズアドリブの真実③

前回までのブログ『ジャズアドリブの真実①』『ジャズアドリブの真実②』で、ジャズアドリブに取り組む楽器演奏者が、どのような心持で、どのような姿勢でアドリブ演奏に臨むべきなのか、つまりジャズアドリブを生み出す過程について述べてきたわけですが、今回は、結果としてどのような演奏になるのがジャズとして良い演奏と言えるのか、この点について解説していきます。

 

とは言うものの、前回までに、演奏者は『演奏した事も聞いたことも無いフレーズで演奏』するべきと結論付けていますから、このような演奏姿勢から生み出されたものこそが、結果的に良い演奏なのだという事にならなければ、皆さんは困ってしまいますよね?でも、ご安心下さい。この演奏姿勢から生み出された演奏こそが、結果的にも良い演奏になると断言できます。実は、この結論を得る為には、ジャズに関して皆さんが思いがちな、1つの前提を覆してしまえば良い、こういうことなのです。

ジャズっぽい演奏をしなければならないのでは?

ジャズに憧れ、サックスサクソフォン)等の楽器を手にした方は、「誰々のような演奏ができるようになりたい」若しくは「ジャズっぽく演奏できるようになりたい」という憧れの 気持ちを抱くことでしょう。もちろんこれは、楽器を始める上で、とても健全なきっかけです。しかし、当初の目標としてはこれで良いのですが、最終的なゴー ルがこれだというと、若干の違和感を感じます。

 

例えば「誰々のような演奏ができるようになりたい」を「誰々のモノマネができるようになりたい」と置き換えてみるとどうでしょう?モノマネできるようになる事が目標、というのでは少々寂しく感じませんか?

ジャズ=即興音楽

ジャズアドリブ

もしも、金髪で青い目のアメリカ人が、演歌の大御所、北島三郎さんの歌を、本人とそっくりに歌うのを目にしたら、我々日本人はどう思うでしょう?驚きや賞賛の気持ちも出てくるでしょうが、それ以上に滑稽さを感じることでしょう。

 

私、鈴木学自身、日本人がジャズを演奏する意味って何だろう?、ただ黒人奏者のモノマネをしていても仕方が無いのでは?と悩んでいた時期がありました。そんな時、某白人ジャズ奏者の言葉、

 

ジャズは黒人音楽ではなく、即興音楽と考えるべきである

 

を知って救われました。 ジャ ズを黒人奏者特有の表現で演奏する音楽と捉えると、アメリカ黒人による民族音楽ということになります。しかし、即興的であることを目指す音楽だと考えれ ば、クラシックのようなグローバルな音楽になります。日本人らしいジャズ、さらに自分らしいジャズというのも、アリになるのです。

 

とある米国人が、日本人の若い女性ジャズ歌手の歌を聞いて、「何故、彼女は年老いた黒人歌手のように歌うのか?」と訝(いぶか)しがっていたという話を耳にした ことがあります。若い人は若い人らしく、日本人は日本人らしく、その人らしく、ジャズを演奏するべきだと、米国人は思うのですね!

 

誰々のように、ジャズっぽく、黒人奏者のようにジャズを演奏する必要はありません。世界中に誰一人として姿かたち、声、思考が全く同一の人間は存在しないのですから、あなたはあなたらしく、自分なりのジャズ、ジャズアドリブ演奏をすれば良いのです!

 

(現代アメリカのジャズシーンでは、黒人プレーヤーと白人プレイヤーの演奏表現の違いがほとんど無くなってきています。パッと聴いた分にはほとんど区別が付きません。それは、両者とも主にジャズ理論に依った演奏を目指しているからだと思われますが、コレが良い事なのか、悪い事なのか・・??)

自分なりのジャズ・アドリブを!

ジャ ズっぽくなくてもいい、黒人奏者の演奏っぽくなくてもいい、自分なりのジャズ・アドリブでいい、このように考えると、前回のブログの結論『演奏した事も聞いたこと も無いフレーズで演奏』するという心構えでアドリブに臨む事が、俄然大きな意味を持ってきます。そして、上記の言葉『ジャズは黒人音楽ではなく、即興音楽と 考えるべきである』という定義にもかなう、正しい演奏姿勢と言えます。

 

そして何より、これは私、鈴木学が、ここまで数多くのサックスの生徒さんとのレッスンで得た実感ですが、その場で本当に即興的にクリエイトされた演奏はとても美しいのです。これについて、上手下手、サックス等楽器の経験年数等は全く関係ありません。一人の人間の、その瞬間の感性が素直に音に現れた演奏は本当に美しいのです。 皆さん、是非堂々とその時の自分なりの演奏を聞かせてください。それが最高の演奏、ジャズなのですから!