現代ジャズ界、最先端トレンディーなベーシストと、ジャズ歴60年に至ろうかという大ベテラン、テナーサックス奏者の共演・・。普通に考えれば、懐古的な音と、コンテンポラリーな音との間で、違和感が目立つ演奏に聞えるはず・・、誰もがそう思うはずです。
天才、ウェイン・ショーター
しかし、天才 ウェイン・ショーターには、そんな常識は全く通用しません。全く何の違和感も無いどころか、むしろ、ショーターの音のほうが新鮮に聞えます。
ショーターって人は勉強家で、何時も新しいサウンドを研究してる・・、なんて事も特になさそうです。だって、ショーターは昔から、こんな感じの演奏をしていましたから。
偉大な奏者として尊敬を集めているにもかかわらず、誰もショーターのようには演奏しない、できない・・。このような例は他にあまり見当たりません。例えば、 マイケル・ブレッカーは、実に数多くのフォロワーを生み出しています。チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンだって同様です。
ジャズ界最高峰の「鼻歌」
何故、ショーターのみ、時代を超えて新鮮な演奏ができるのか?誰も真似できないのか?その答えは、こういうこと「ショーターは理論、形式に従って演奏していないから」でしょう。ハッキリ言って、ショーターのソロは、彼独特の鼻歌のようなものなのです。
ショーターは音楽が創造されていく流れの中で、実に変幻自在に、ソロを奏でていきます。そのソロラインからは、あらかじめ用意されている形跡は微塵も感じられません。あくまでその瞬間の感覚、閃きに従って、新たな音楽として創り上げられていきます。
下段の動画でも、ショーターはまるで音と戯れているかのように、次々とアイデアを音にしていきます。そしてそのアイデアは実に多彩かつ豊富です。ベーシストが翻弄されているのが、ハッキリとわかります。
理論と感覚の差
感覚から生み出される、ショーターの音楽は、全く聞き飽きることも無く、古びていく事はありません。実際、デビュー時の音源を聞いても、彼以外のバンドの音からは、その当時の「時代」を感じますが、ショーターのソロラインそのものは、全く古さを感じさせません。
これに対して、理論、形式にのみ従って生み出された音楽は、一定の時代を経ると、必ず古びていきます。その理由は簡単で、聞いている方の耳が、そのサウンドを聞き慣れて、飽きてしまうのです。
何回か聞くうちに飽きてくるかどうか?その音楽が生み出された時、創造者が自らの「感覚」と「理論、形式」のどちらに比重を置いて創造したかによるのかもしれません。実際、私、鈴木学の経験上、作編曲時、特に旋律に関しては、調子よく、パッパと出てくる日に、勢いで創った方が、後々の出来栄えが良いように思います。
より普遍的な音楽を目差して
何回聞いても聞き飽きない音楽、聞く度に鮮度を失っていく音楽、もしも、自ら音楽を作り出す立場の人間ならば、前者を目差すのは当然の事です。芸術であるかぎり、長く生きながらえる生命力を持つ作品ほど、偉大なのですから。
もちろん、だからといって、理論、形式を否定するつもりは全くありません。むしろ、ショーターだって、音楽的な研究、勉強について、相当に深いレベルまで踏み込んでいるに違いありません。だからと言って、理論、形式に隷属したり、頼り切るべきではないという事なのです。
なぜならば、人間が生み出した理論、(形式と言うより)スタイルは、時代の変遷と共に、古びてしまうことは多々あります。しかし人間の感覚、(これも別の言葉で)感性が古びることはありえません。現代人のほうが感性が新しい、なんて事は絶対にありえないのです。
人間が生み出した中で最も偉大な芸術、「音楽」に取り組むのだからこそ、人間としての本質、感覚、感性と向き合うべき、そして、そのように音楽と向き合った場合にのみ、真に感動的な音楽が生み出される・・、私はこう信じています。