「~でなければならない」って本当?②

ジャズフルート

ブログ【「~でなければならないって」本当?①】では、多くの楽器演奏愛好者が信じ込まされている、「拍の長さは正確でなければならない」という「常識」について、それが誤りであることを指摘しました。楽譜、譜面の本質を考えれば、それは当然否定されるべき誤解なのですね。

前回は楽譜、譜面に対しての「~でなければならない」の話でしたが、今回はサックスサクソフォン)等、複数の楽器による合奏、アンサンブルの際に、我々日本人が「~でなければならない」と思い込まされている誤解について指摘します。

「周りの音を聴いて!」は奇妙

日本の音楽教育の世界では、合奏の指導者は皆「周りの音を聴いて合わせて!」と指示します。実はこれが大変宜しくないのです。よくよく考えると、合奏の指示指導として、二重に奇妙な点があります。にもかからずほとんどの日本人は、合奏の際には「周りの音を聴いて合わせなければならない」と信じ込んでいます。

まず前半の「周りの音を聴いて」について、それをするには、ある前提条件が必要となります。「自分の音をしっかりと聴く」ことです。周りの音を聴いただけでは、自分の音がどうなっているのか、分かるはずがありません。演奏中に何かを修正するにしても、自分が奏でている音の現状が聞こえていなければ修正できません。

そして何よりこれが重要なのですが、自分の楽器の音が聞こえていれば、周りの音も自然に耳に入ります。しかし残念ながら、その逆は成立しません。だからこそ合奏中は「自分の音をしっかりと聞く」ことに集中すべきですし、指導者もそのように導くことが大切なのです。

「合わせる」ってどういう意味?

サックス(サクソフォン)、合奏

「合わせろ!」、これも合奏の指導者が口にしがちな言葉です。しかしよく考えるとこの「合わせる」というのは、一体どういう意味なのでしょう?ただ周囲の音と発音のタイミングを一致させる、音程(ピッチ)の高低を一致させるという意味で考えている人が多いようなのですが、ちょっと考えればそれが本質的に奇妙な考えであることが理解できます。

 

もしも上記のような考えが「合わせる」ことの真意だとするならば、何人で合奏しても、完全にぴったりと一体化した旋律を、皆で創り上げることがその理想だという事になります。一人一人の奏者は只々、周囲の音に自分の音を溶け合わせて、自らの音の存在を消すことが正しい演奏だという事になります。

さらに言えば、「合わせろ」と強調する指導者は、奏者に対して無意識のうちに「唯一絶対の正解」に近づくことを意識させてしまいます。「合わせる」というのは、正解、お手本の存在を前提とした言葉ですから、それを言われ続ける奏者は自分が「合っていない」、正解の演奏と比べると「間違っている」と考えることにつながります。

本来の音楽、楽器演奏の姿

・・とここまで指摘してきた中で、もう「合わせる」という言葉の奇妙さが浮き彫りになりました。まず言うまでもなく、楽器演奏は音楽を創り上げる行為です。音楽は芸術ですから「美」を求めることが目的となります。さて「美」に唯一絶対の正解が存在するでしょうか?あるわけないですよね(笑)。正解が存在しないのに、何に合わせるというのでしょうか?

そして、芸術は創造する(クリエイトする)行為です。果たして「周囲の音に自分の音を溶け合わせて、自らの音の存在を消す」のが、クリエイティブな行為と言えるでしょうか?このように考えて演奏することを求められると、大半の人間はクリエイトすることを放棄します。誰かが創造した旋律にただ「合わせればよい」と考えてしまうのです。

以上のように考えると合奏中の、「周りの音を聴いて合わせなければならない」という考えは、明確に誤りであると断定できます。少なくとも音楽、楽器演奏の本質から考えればそのように断じざるを得ません。少なくとも合奏を指導する立場にある方には、是非、これをご理解いただきたいです。

ならばどう考えればよいのか?「周囲の音を含めた自分の音をしっかりと聴き取り、(合奏に参加する奏者一人一人が)音楽を創り上げる」と考えてください。これが合奏の本来の姿ですし、このように考えて皆が演奏に臨むからこそ、合奏の喜び、皆で音楽を創り上げる感動が味わえるのです。

しかも「一人一人が自分なりに音楽を創り上げる」ようになれば、実際にはバンドの音は揃ってきます。しかも全体の鳴りは良くなりますし表現も生き生きとしてくるので、良い事ばかりです!是非お試しいただきたいと思います。

 

次回に続く