「好き嫌い」と「善悪」の区別、ついていますか?

サックスサクソフォン)、フルートクラリネットレッスンの際、「さっき吹いた音色と、今の音色。あなたはどちらの音色が好き、好みですか?」と尋ねると、結構な高確率で「分かりません」という答えが返ってきます。そして、その理由を尋ねると「どちらが良い音なのか分からない」と答える人が多いようです。

どちらの音色が好きですか?

この問答は、一見、普通の受け答えのようにも見えますが、実はかみ合っていないことがお分かりいただけますでしょうか?私は生徒さんに対して「音色の好き嫌い」について尋ねているのですが、生徒さんは良い音、つまり「正しい音色」という存在を前提に、自分には「正しい音色が何か分からないから答えられない」と言っています。

もちろん、音楽の世界に「正しい音色」なんて概念は存在しません。もしも仮に存在するとしたら、例えば「ジャズサックスの正しい音色」というお手本の音色が存在するとしたら、世界中のジャズサックス演奏者は、全く同一の音色を目指さなければならない、もしくはお手本の音色に近い音を出す奏者ほど偉い、なんてことになってしまいますが、聞くからに滑稽に思えませんか?人間の「美しい」と感じる感覚が人それぞれである以上、音楽の世界に「唯一の正解」なんて存在しえないのです(詳しくは、拙著「楽器演奏が楽しくなるココだけの話」をご覧いただけたら幸いです)。

私、鈴木学は当然、それを理解していますから、「正しい音色」の存在を前提とした質問はしません。さらに言えば、「絶対的に好きな音色」なんていうのも誰にも分からないはずです。誰かCDになっている奏者の音を聴いて、この音色が絶対に好き、という事はあっても、自分が発している音色に対して、「絶対的に好きな音色」という価値観を持っている人は、誰もいないと思います。

あくまで「相対的な好み」、「さっきの音と今の音を比べてどちらが好きか?」を尋ねています。それならば、しっかりと自らの楽器の音色を聴き、観察さえしていれば、誰でも答えられるはずです。特にサックスは、演奏操作のほんの少しの変化が、即音色に反映される楽器ですから、誰だって音色が変化していることは分かります。そのどちらが好みだったかを答えるのだって、全然難しい事ではありません、どちらの音色が好みか?自分の感想を言うだけのことなのです。少なくとも私は「どちらが正しい音色か?」なんて答えを求めてはいません!

それをしっかりと理解して、「さっきよりも今の音が好きだなあ」とか、「おっ、今のが今日一番好きな音かも?」といったように考えを切り替えることができると、誰でも必ず音色、そして演奏内容が激変します!それもそのはず、自分の音は正しい音色ではない、間違った音だと考えていたら、しっかりと音色を聴きながら演奏するはずはありません。好きな音色を探しつつ演奏する姿勢になれば、自分の音をしっかりと聞くようになるので、演奏内容がハッキリと改善するのですね!

楽器演奏に大切なのは「好き」の気持ち!

日本人が楽器演奏に取り組むと、なぜか「正しいか間違っているか?」、言い換えれば「善悪」の価値観に固執します。ほとんどの人が自らの「好き嫌い」を拠り所に、音楽しようとはしません。私は個人的に、日本以外の国の人々と比べた場合、日本人の楽器演奏の上達スピードが遅くなる例が多いのは、これが原因だと考えています。

日本人が音楽に取り組むと、「好き嫌い」と「善悪」の価値観がごちゃ混ぜになりがちです。本来「好き嫌い」で判断すればよい部分まで、全て「善悪」の判断を適用しようとしてしまいます。その結果、自分の演奏を楽しめなくなり、音色を聴きながら演奏する習慣がもてないため、演奏の上達に時間がかかってしまうのです。

例えば、西洋人も日本人と同様に、楽器演奏に取り組む際には基礎的なトレーニング、上達のための地道な努力をします。もちろん、音楽的な勉強もします。違いが出るのは、楽曲、音楽作品を演奏する際の心持です。日本人は「正しく」演奏しようとしますが、西洋人は自分なりの「好き嫌い」、つまり自分の価値観を拠り所に「美しく」演奏しようとします。この差が、楽器演奏の上達スピードに大きく影響するのです!

音楽について論理的に考えたり、様々に勉強する際には、「善悪」の価値観に基づいて、「正しく」取り組むべきでしょう。しかし、演奏中の感覚的な部分、音色の好き嫌いとか、ノリ、フレージング、演奏全体の雰囲気、といった部分については、自分なりの「好き嫌い」を基準にすればよいのです。この部分について「善悪」、「正しさ」を拠り所にしようとするのは、大変に無理があります。

皆さん是非、自分の演奏に対して、自分なりの「好き嫌い」で判断してください。他人との比較は必要ありません。あくまで自分の演奏、自分の楽器から奏でられている音色に対して、常に「好き嫌い」を感じていただきたいのです。そうすることで間違いなく、楽器演奏の世界が良い方向に変化します。是非お試しください。

一般社会には「善悪」の価値観を!

・・とここまで書いてきて、我々日本人の場合、楽器の演奏だけではなく、一般社会の中でも、「好き嫌い」と「善悪」の価値観がごちゃ混ぜになっているように思えてきました。特に新聞、テレビ等、マスコミの報道と、それを受け取る市民との間で、それらの価値観が錯綜しているのが現状のように思えます。

キャスター、コメンテーター、記者の個人的感情に基づいた発言、つまり発信者の「好き嫌い」を表明しているだけのはずなのに、それがあたかも、「善悪」の価値観に基づいた「正しい」事実として報道され、その記事、情報を受け取る視聴者、読者も、それを事実と誤解して受け取っている・・。そのせいで日本中に、余計な混乱が生じているように思えてなりません。

人間の世界には、「善悪」の価値観に従うべき事象が多々あります。国、地域社会といった様々な単位のコミュニティーの歴史、伝統、文化に基づいて、そこに属してきた人間の倫理観、常識として、その「善悪」の価値観は共有されているはずです。外国の場合ならば、それが宗教の戒律として共有認識されてることも多々あるでしょう。それによって地域の安定、平和、発展が保たれてきたのです。

もちろんその善悪の価値観は、人によって完全イコールではありえません。育ってきた環境その他の要因によって、人ごとに若干の差異はあるでしょうが、同じ国家に暮らす者同士ならば、それほど極端な違いはないはずです。しかし、情報の発信者が、「善悪」の基準に完全に忠実に発言していることはまずありえません。大なり小なり、「好き嫌い」の感情に影響された情報を発しています。人間に感情がある以上、それは仕方ありません。

情報を鵜呑みにしない!

マスコミ、報道は我々に「善悪」に基づいた、「正しい」事実を伝えているはず、一般市民はこのように信じています。しかし残念ながら、何らかの感情を持った人間による営みである以上、発信者の感情が紛れ込むことは避けられません。我々、情報を与えられる立場の市民は、それをしっかりと理解している必要があります

与えられた情報を鵜呑みにするだけでなく、その中に「善悪」と「好き嫌い」が混在している事実をしっかりと理解した上で、自らの考えを持つ、判断する事が重要です。特に現代の情報過多な社会では、そのような姿勢で生活する事が必須かと思います。

楽器演奏には「好き嫌い」を、普段の生活には「善悪」を。この両者がしっかりと区別できることは、本当に大切だと思うのです。サックス、その他楽器演奏に取り組むことは、この価値観の強化につながるはずです!株式会社マナブミュージックが目指す「音楽のある、よりよい社会づくり」の一環として、まずは私共が実践してまいりたいものです。皆様も、是非よろしくお願い申し上げます。