今年の春は、気温の上昇が急激ですね。その為、例年よりも一週間早くソメイヨシノが満開になったかと思えば、早くも半分くらい葉桜になり、もう八重桜の開花も進み始めました。
毎年、気候の変動が進んでいるように思えます。それでも、冬から春にかけて気温の上昇につれ、毎年必ず様々な花が開花していきます。梅、、サンシュユ、木蓮、桜...。私が撮影に出かけている鶴舞公園では、グランドの整備が進んだり、公園周辺にマンション建設が進んだり、様々に環境が変化していますが、それでも花の開花の様子、順番は変わりません。
「便利=進化、進歩」とは言えないはず
花々の開花の様子を日々目にする中、ふと考えることがあります。人間の世界では、この20年ほどの間に、ITを中心としたテクノロジーの進化により、我々の日々の生活環境は激変しました。特に情報に関して、以前であればテレビ、新聞、雑誌といったマスコミメディア、加えて趣味などの専門的な情報であれば、情報誌、専門書といった媒体を通じて、情報を得ていました。しかし今では、誰もが持ち歩いているスマートフォンに入力して、さっと情報を検索するのが当たり前になっています。
つまり以前とは比較にならないほど、世の中は「便利」になったのですが、そこで我々が忘れてはいけない点があると思うのです。誰もが勘違いしがちなのですが、実は必ずしも「便利=進化、進歩」、「便利=豊か」とは言えないと思うのです。
どういうことかと言うと、確かに生活環境は格段に便利になっていますし、我々は高度に進化した電化機器を使いこなしています。しかしだからといって、我々現代人が数十年前の人間よりも、知能的に優秀であったり、身体的に優秀であったりすることを意味しません。ひょっとしたら便利な道具に頼りすぎている現代人は、以前よりも退化している可能性すらあるのではと、私は個人的に危惧しています。
正しさよりも美しさ!
実は音楽の世界では、このような危惧が現実のものとなりつつあります。今の時代、楽器演奏に取り組む場合、何の疑いもなく、デジタルメトロノーム、チューニングメーターを入手し、それを頼りに楽器と向かい合います。非常に高精度な器具が誰でも入手可能、というか今やスマホアプリでも入手できるため、本当に誰でも使用しています。
その結果として、音楽の世界はどう変わったか?「電子メトロノーム、チューナーは絶対に正確なのだから、メトロノーム、チューナーどおり、ぴったりに一致したリズム、ピッチの演奏こそが正解である」という考えが、常識化してしまいました。もちろん音楽にはほかにも様々な要素が含まれますが、上記のような状態が正しいのだから、まずはそれを前提として、という思想が常識化してしまったのです。
しかしながら、一寸考えればこの「正確=正しい」という考えに疑問が浮かぶはずです。そもそも、このような電子器具が一般に普及したのは、今から40年程前です。それ以前の演奏者は振り子式メトロノームで大体のテンポを確認し、ピッチに関しては音叉で確認したりしていました。つまり完全に「アナログな」状態です。もちろんアナログな機器は、正確さではデジタル機器に劣ります。しかしながらそれをもって、以前の演奏者の演奏の方が技術的、音楽的に今よりも劣っていた、とは言えるはずがないでしょう?
さらに言うと、これでこのブログで何度も指摘していますが、「正確=美しい」とは必ずしも言えません。それに先ほど「正確=正解」という書き方をしましたが、音楽において重要なのは「正解であるかどうか」、「正しいか正しくないか?」ではありません。もちろん「美しいかどうか?」が重要です。間違っても「正しさ>美しさ」なんてことになってはいけないのです!
気候、環境、世の中が様々に変化しても、毎年変わらず美しく咲き誇り、我々の眼を楽しませてくれる花たちの様子を眺めつつ、そんなことを考えていました。人間にとって「美しさ」という価値観は不変ですよね。「美しい」と感じる心は、大昔の人間でも、現代人でも同様なはずです。皆さん、音楽に取り組む中、「美を求める心」を純粋に求めたいものですね!